歴史のある柳橋に当館は位置し、東京都内のどこにいくにも便利なロケーションです。
ショッピングにも便利な東京の中心である東京駅や銀座、観光名所である浅草やスカイツリーへも近く、浅草橋を中心に東京都内の観光が楽しめます。
ベルモントホテルが位置する東京都台東区柳橋は、現在閑静な住宅街に見えますが、かつては政財界や芸能界など、あらゆる著名人たちが訪れる花街として知られていました。
その歴史は、400年近く前、明暦3年(1657年)に起きた「明暦の大火」にまで遡ります。江戸時代最大の被害をもたらしたこの大火事によって、江戸の町は外堀以内ほぼ全域が焼け野原となり、幕府は延焼を防ぐために〝火除け地〟を各所に設けました。それを「広小路」と呼びましたが、そのひとつである「両国広小路」が、ちょうど「柳橋」の対岸に、両国橋と江戸通りをつなぐ形で設けられました。
江戸最大の遊郭として知られた「吉原」が、「明暦の大火」の後に、日本橋葺屋町から浅草山谷付近(現在の台東区千束)に移転すると、そこを訪れる客の間で猪牙舟(屋根のない舳先のとがった細長い小舟)で隅田川を北上して、山谷堀(水路での吉原の入り口)へ入るのが流行りました。需要に応える形で、「柳橋」には船宿が増えていきましたが、船賃だけでは儲けもたかがしれていたので、船宿は次第に宴席の場も兼ねるようになりました。
やがて、周辺には酒楼・料亭も軒を連ねるようになり、幕末にはその数も江戸随一となりました。侍・商人に医者から、更には僧侶までがここに集ったそうです。こうした酒楼には夏に汗を流すための風呂もついており、どこの店にも専用の浴衣までが用意されていました。こうして「柳橋」は花街として栄えるようになっていったのです。
芸を重んじる傾向にあった柳橋芸者の水準は非常に高かったらしく、薄化粧で身なりも地味、冬でも足袋をはかないことを美学とする彼女たちは粋を極めた存在でした。明治時代になり新たに新橋にも花街ができ、こちらも人気となると「柳新二橋(りゅうしんにきょう)」と呼ばれるようになりました。しかし格は柳橋の方が上で、お座敷で同席した際は新橋芸者の方が三寸下がるという不文律もありました。
江戸・明治・昭和の旦那衆から格別に愛された「柳橋」でしたが、昭和の中頃にはその勢いがおとろえていきました。原因とされるのが、隅田川の変容で、高度経済成長に伴う工業排水で隅田川の水質が一時悪化して、これに水害対策の堤防造成による景観の変化が追い打ちとなって「柳橋」の客足はみるみる減っていきました。その後、川の水質改善と時代に合わせた経営シフトによって船宿は盛り返しましたが、料亭や芸者が再び浮かび上がることはありませんでした。その名残で柳橋では屋形船が華やかに営業しており、その数は都内随一となっています。
柳橋の料亭は多い時で70軒ほどが立ち並びましたが、最後に唯一残った料亭「いな垣」も1999年を最後に閉店し、これにより柳橋花柳界は400年の歴史に幕を下ろしました。「いな垣」閉店時には惜しまれながら芸者と町の名士によって寄せ書きが書かれ ベルモントホテルのロビーには今もその寄せ書きが飾られています。
その柳橋に建つベルモントホテルには、ロビーに浮世絵が飾られていたり、ステーキハウス柳鳳のディナーのコース名がかつてあった料亭の名前だったり、3階の新客室の部屋番号が「扇」のサインになっていたりと、今も形を変えながらその情景を残しています。
400年もの歴史の上に、ベルモントホテルは存在しており、これからもその歴史を紡いでいきます。
若者で溢れかえる
合計時間:約25分(乗り継ぎ時間含む)
浅草橋(JR総武線:19分)→代々木(JR山手線:6分)→渋谷
ファッションカルチャーの街
合計時間:約24分(乗り継ぎ時間含む)
浅草橋(JR総武線:19分)→代々木(JR山手線:3分)→原宿
レインボーブリッジのある
合計時間:約33分(乗り継ぎ時間含む)
浅草橋(都営浅草線:11分)→新橋(ゆりかもめ:13分)→お台場海浜公園
コミケでにぎわう
合計時間:約42分(乗り継ぎ時間含む)
浅草橋(都営浅草線:11分)→新橋(ゆりかもめ:22分)→東京ビックサイト
夢の国
合計時間:約44分(乗り継ぎ時間含む)
浅草橋(JR総武線:25分)→西船橋(JR武蔵野線:12分)→舞浜
当ホテル(東京 浅草橋ベルモントホテル)周辺は、神田川が流れ、昔ながらのお店が残り、下町情緒溢れるエリアとなっております。そのためドラマや映画、バラエティ番組などの撮影が多数行われております。そんな中、当ホテルも「ホテルシーン」などの撮影では度々、ご利用いただいております。出演者、スタッフの控室などでもご利用できますので、お気軽にご連絡ください。
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